つまり、「その故に、我々は”精神病質者”という名称を臨床的に内々に使用したほうがよく、外向けには出来るだけ使わないか使ったとしてもより詳細な描写を伴うべきである。往々にして人はすべての症例に、なにがしか倫理的ないし社会的なマイナスを読み取るのである。これは”ヒステリー”の場合と同様の経過なのである。つまり、価値評価、道徳化へのより明白な転落である」。精神医学概念が価値評価とか道徳化というものに転落してしまっている。これは自分の本意ではないということをシュナイダーは言うわけですね。
(中略)
「レッテル貼りはいけない。”精神病質”は決して医学的診断ではない。いわゆる正常人格も犯罪人格も、人は決して一言でレッテルばりをしないではないか。だが、人が”精神病質”を葬ろうとしても、それと共に事態が消滅するわけではない。わたしは次のように言いたい。”精神病質者”は死んだ。だがーー精神病質者は生きている。」
人格障害のカルテ【理論編】
ジャンル分けというものがあって、それはとても便利なのだがそれは本当は個別の事象人間に対してとてもできることではない。まして差別的な意味合いすら時にこもってしまう「ジャンル」であればなおさらそうだ。
Aural Fitは
忘八門土 [ Mondo Bohachi ](Gt)
南部輝久 [ Teruhisa Nambu ](Dr)
南部輝久 [ Teruhisa Nambu ](Dr)
ムラカミ ジョージ [George Murakami](Ba)
からなるスリーピースバンド。その音楽性はサイケ、ノイズ、轟音と表せるが決してその枠だけで語ることはできない。
ドラムがバラバラな音の粒を整えていくため、轟音即興であってもダレることがないのだ(これは南部によるfree jazzの素養からくるのだろう)。かつノイジーな、神経症的感覚を洗う轟音、必要な人にとってこれ以上なく必要な要素は一粒足りとも余すことなく一切の妥協なく見るもの聴くものを巻き込み、癒していく。差別的にジャンルで区切ることを許すことのない圧倒的な隙のなさがある。
ドラマーの南部さんは、以前からいろいろと仲良くさせていただいており、今回はメインバンド、Aural Fit(バンマスは忘八門土さん)での出演を快諾していただきました。生で絶対に味わってもらいたいバンドですが、配信でも、その魅力は伝わるはずです。
モヤモヤを抱え込んだすべての人にこの音が伝わりますように。
(Vo,Sax 及川耕碩)