2018年7月12日木曜日

ウタ、ライブ出演者紹介その12「どろうみ」

どろうみ

7月14日(土)に高円寺DOM studioで行われる第一回てろてろ自主企画 「ウタ、ライブ」の出演者を、てろてろの各メンバーが紹介していきます。第十二回はどろうみです。
 
・生ギター、生ピアノのシンプルな音像で、ブルースやらアジアンなテイストも取り入れた多彩な楽曲が魅力です。(評者 Gt:百萬石マツリ)

・先日、オースチンレコード主催の企画にてろてろがアコースティック編成で参加、どろうみと対バンした時のこと。見覚えのある男性から「お久しぶりです」と声をかけられました。
私は絶望的に人の顔と名前を一致させるのが下手なので、絶対に見覚えがあるけれど名前が出て来ないな間違えたら大変な事になるぞ暫く時間を稼ごう記憶を辿ろう、とそんなことをつらつら考えるでもなく考えていると男性の方から「殺生に絶望の」と。あっ。鈴木さんでした。ごめんなさい。
なんで鈴木さんがここにいるんだ、と思ったらどろうみに参加されていたからなのでした。
 

自分にとっての良いウタ(歌、詩)というのは、「記憶」と密接に結びついています。記憶というのは不思議なもので、言葉にならなくても忘れたくても、ある匂いやある感触だけでその人の主体を通り越して追いついてくる。
「オシャレ」なウタというのは今目の前にあるその場の瞬間だけを写しとったようなツルツルして刹那的もので、それはまるで記憶がないようなふりをします。
私は、どこかでその人の逃れられない「過去」が匂い立つものの方に惹かれることが多いです。
生きることが記憶の連続であるとするなら、逆説的に「死を感じさせるもの」と言ってもいいのかもしれません。「オシャレ」なバンドからは、死の匂いがしないのです。

オリエンタルな雰囲気で良質な楽曲を演奏するアコースティックバンドを見るとつい「たま」みたい、と思っちゃうんですが(若いメンヘラ気味の女性ボーカルが現れるとすぐ「現代の戸川純」と例える大槻ケンヂか俺は)、たまの楽曲も死と記憶が色濃いから、どんなに明るい楽曲でもどこか寂しい。
どろうみを見て「たま」みたいだな〜、と思ってしまったのは、そこはかとない寂しさをウタに感じたからなのです。

今回の企画には、ハードコアな人もウタものでない人もヴォイスのないバンドも出てもらうのですが、それぞれがそれぞれの持つそれぞれだけにしかない記憶を感じさてくれる「ウタ」を演奏する人達に集まってもらいました。
その中でもどろうみには、もっともシンプルに私が考える「ウタ」をお客さんに感じてもらえるのではないかと思います。
ある意味、今回の企画の軸になる素敵なバンドです。(評者 Vo,Sax:及川耕碩)

https://soundcloud.com/doroumi/20180624a

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