2019年3月6日水曜日

ウタ、ライブ2出演者紹介その3「MONEYiSGOD」

ある日、サポートで叩いてくれているドラムのヤノ君が酒席で拡声器について熱く語っていました。

「拡声器をつかっても、思いが届かないところが美しんじゃないですか!」

ヤノ君は若いのに、寺山修司や三島由紀夫や大江健三郎が好きなのです(これくらいは書いても怒らないでしょう)。どうりで俺と話が合うわけだ。
で、その場は酒席で、私も「いやいや、拡声器はないでしょう」みたいに言っちゃったんですが、ごめん、ありゃ嘘だ。確かに拡声器の美的な美しさってあります。もう、俺は照れちゃうけど、良くないね。そういうのほんと。ちゃんとカッコつけよう。

さて、いわゆるハードコア・パンク。このジャンルは、拡声器に似た悲しさ美しさがあるような気がするのです。
元々私は音楽に疎いほうで、最初に音楽が好きになったときにもまず言葉ありき、歌ありき語りありきで、バンドというのはあくまで「バックバンド」が基本でした。今もおそらくまだその心根は残っていて、企画タイトルも「ウタ」をやるから「ウタ、ライブ」といった具合ですから。
つまり「届くウタ」「何を言ってるか聞き取れるウタ」が最高!で、ハードパンクやニューウェーブなどでも、あくまで言葉の聞き取れるパンクが好きでした。

それがいつの頃からか、洋楽とか無調性音楽を好んで聞くようになっていきました。純粋に、音だけで聞けるところが良かった。日本人の日本語の歌詞だと、考え方や美的感覚の違いがダイレクトに迫ってきて苦しくなってきたのです。
同時期、今までうるさいだけに聞こえていたハードコアも好きになってきました。

ハードコアの基本は、歪んだギター、シンプルな構成、煩いドラム、埋もれる声と早すぎて何を言ってるか聞き取れない歌詞。なのに、メッセージ性はすこぶる強かったりする。
少し前にリバイバル上映されていた「ちょっとの雨なら我慢」を観た時、とても暴力的でアクティブなのに、なんだかエンドロールで悲しくなりました。それは届かなかった、けれど確かにあった何かがスクリーンに写っていたからだと思うのです。

伝説的なハードコアバンドASBESTOSのボーカルだったKANさんがフロントマンを務めるMONEYiSGODは、音楽的にはとてもポップだし、リズム隊がめちゃくちゃに上手い(なにせ現マリア観音と、元マリア観音がタッグを組んでいる)、KANさんの強い声はバンドを突き破って聴き取れる。なのに、どこか聴いていて悲しくなるのです。
ハードコア・パンクは、激しいだけじゃダメです。悲しくならなきゃダメです。
 (評者 Vo,Sax:及川耕碩)



https://moneyisgod.jimdo.com/

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