2019年4月5日金曜日

ウタ、ライブ3出演者紹介その3 もれる

てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。 

 インターネットで、絶対に炎上しない方法がいくつかあります。

・時事ネタには触れない
・自分の意見は言わない
・写真や映像を投稿しない

つまり、何もしないということです。

ところで、食事中に己の汚物も流していないトイレの扉を開いて「これが俺の真実だ」なんて、そんなナイーブな絶叫は大人になるとなかなかできないものです。恥をかくだけなら良い方で、悪ければボコボコに殴られ、村八分にされ警察を呼ばれて、となる。
しかし、インターネットはわずかな通信料さえ払えばそれができます。非常に私的な、なんのてらいもない「私」をむき出しにすることを止めることは誰にもできない。人が人に個性とか個人とかを見るというのは、公共の場での振る舞い方を踏襲した、連続性がある理解できる、あくまで受け手が把握できるレベルに「私」が襟を正した姿のことです。
炎上もせず人気でいる人というのは、つまりその、見えない(見えにくい)ルールの上での言動表現を行っていて「個性的」だから人気なわけで、そこからもれたものは叩かれ殴られ吊るし上げられてやむなし、なわけです。そうして、「個性」ある「個人」が無軌道で思慮の足らない愚か者を尻目に成り上がり秩序ある世界の上に美しい世界ができあがり誰もが笑顔になりました。幸福がせかいにあらわれました。めでたし、めでたし。

ところで、これは嘘です。
正確には目標とするべき美しい物語で理想です。
そのルールは、本当に公共の、パブリックな、真善美に用いられるルールなのか。むしろ、誰しもの心の中の暗い欲望を正当化するために作られた巨大で真っ暗な、「私」をたっぷり集めただけのハリボテの狂気なのではないか。そういったものを、パンクとかロックとか呼ばれた音楽は撃つべきだったのだと思うのです。それは、少なくとも美しい理想としては。



大槻ケンヂの小説に「キャプテン・マンテル・ノーリターン」というバンドが出てきます。何をするにも上手くいかない高校生たちが、己の闇の中に潜むキラキラとした宝石のような何かをぶちまける、そのためにちょーかっちょいいノイズバンドを組もう、と。彼らはバンドを結成したのです。
「もれる」を初めて知った時、一番最初に思い浮かんだのがこの架空のバンドでした。なんのためにパンクバンドなんてものが、ハードコアなんて無茶なジャンルが、ノイズなんていう悲しさしかない音楽があるのか。それは、不満を溜め込んだ人間たちが、身を守ったり、何かを手に入れるためだったり、自分たちが納得のゆくルールへ逃げながら少しずつ近づいたり……そんなことのためではないでしょうか。つまり、生きていくために必要な武器として。
武器は使い方を誤れば周りだけでなく自分も傷つけるもの。危なっかしくも見えたりするけれど、その姿も美しかったり「することがある」から始末に終えない。美しいのか正しいのか面白いのかカッコいいのか好きか、醜いのか間違っているのかつまらないのかカッコ悪いのか嫌いか、それらは全部違います。でも、少なくとも私は、「もれる」のことが好きなのです。
彼らは、もしかしたら、これからどんどん正しくなっていったりしてしまうかもしれません。それは誰にもわからないけれど、でもそうなった時に失われるものも絶対あるから、だから、きっとみんな今彼らを観た方がいいと思うのです。

(Sax,Vo 及川耕碩)


【DEMO】収束します

 

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