2019年4月5日金曜日

ウタ、ライブ3出演者紹介その2 電波パパ

てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。

電波パパの歌を聴くと、言葉のチカラとは何か、歌詞とは何か、などを考えてしまうのです。

以前に対バンさせて頂いた時にCDを買ってから、一時期そればっかり聴いていたくらいにファンなのです。だから、歌詞もよく読みました。こんなに軽妙で淡々として肩肘張らないボーカルスタイルなのに、意外と選ばれる言葉は強くメッセージ性があるのです。


例えば、YouTubeに上がってるどきどきアイドル天国(仮)という曲。「ちょうどよいおもちゃ」「救世主の気持ちにもなってみろ」など、かなり本質的で皮肉っぽい言葉遣い。なのに、これがメロディのある歌として電波パパから発せられるとむしろどんどんアイドル的になる。何度でも聴いて、擦り切れるまで消費したくなる。ポップなのです。歌というのは、通常使用される言葉遣いと違う音律で裏切るところに快感があると思うのですが、ある種のアイドル批判それ自体が自身をアイドル化していく。それがこの曲の、ひいては電波パパの「歌」のすごいところです。
むしろ軽々しい言葉遣いをすればするほど、意味から逃げるという意味が生じて窮屈になってゆくことも往々にしてある中、これだけ強い意味を持った言葉づかいを無意味化する。アイドル化してゆく。ただただ、音楽として心地がよいのです。

ところで私は「歌」が嫌いでした。
なぜって、ありのままの自分がメロディによって浄化され、肯定されてしまうのが弱々しく見えたから。
その音の力の強さに加えて、歌詞というものの持つ暴力性。普段遣いとは違うメロディによる言葉の異化効果が、まるでその言葉の持つ意味自体で自分を癒やしてくれるような……酒を飲んで気を大きくさせるのにも似た不思議なチカラ。 

ハードコア・パンクみたいな荒々しい歌い方の音楽は、メロディを破壊している!すごい!なんて無知そのもので思ったものでした(実際は、良いハードコアほどメロディがしっかりしています)。

さて、そんな歪んだ認識のまま色んな音楽に触れていったら、本当にメロディのない、もしくは薄いパンクというものもあったのです。
ニューウェーブとかポスト・パンクと言われるものの中にそれはあって、ラップでもなければ単純なポエトリー・リーディングでもない、メロディを歌、リーディングを詩とするならばそれら2つのウタが合わさったような、メロディと語りの区分がされておらず、語りがメロの補足や解説ではなく地続きな、何度も越境しては反復するような、奇妙なボーカルスタイルが。

 そこから私は、ずうっとポエトリー・リーディングや、メロとの組み合わせ方みたいなものにばかり拘ってきました。

電波パパの歌は、とってもポップでキッチュで、派手さはないのに心に残る、非常にチカラのある麻薬的なウタです。過去の私には、正統派の敵のはずでした。
けれど、そういう頭で考えたような敵意は、素直に音楽に向き合いだしてから、だんだん、だんだん、消えていったのです。やっぱり、いいものはいいものだから。 本当は歌が好きで、歌に慰められていた自分のその、弱々しい部分こそが嫌だったのだから。

適度なお酒と同じように、美しいメロディの通ったあとに咲いているいくつかの強い言葉は、人の心を饒舌にさせます。沢山の何かが浮かんでは消えて消えては浮かんでくる。それがウタのチカラで、だから私はウタが好きだと今は素直に言えて、そして電波パパが好きなのです。ファンなのです。

(Sax,Vo 及川耕碩)




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