てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。
足が長い
酒をガンガン飲む
やばい髪の兄ちゃんたちが演奏する
ファズがたくさんかかってる
音のでかい
メチャメチャな
ジャズロック
ライブ後は謎のジョークを連発する
やつらがDe Lorians
気をつけろ!
渡辺周(Gt,うしろまえさかさ族)
参考動画
2019年4月6日土曜日
2019年4月5日金曜日
ウタ、ライブ3出演者紹介その3 もれる
てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。
インターネットで、絶対に炎上しない方法がいくつかあります。
・時事ネタには触れない
・自分の意見は言わない
・写真や映像を投稿しない
つまり、何もしないということです。
ところで、食事中に己の汚物も流していないトイレの扉を開いて「これが俺の真実だ」なんて、そんなナイーブな絶叫は大人になるとなかなかできないものです。恥をかくだけなら良い方で、悪ければボコボコに殴られ、村八分にされ警察を呼ばれて、となる。
しかし、インターネットはわずかな通信料さえ払えばそれができます。非常に私的な、なんのてらいもない「私」をむき出しにすることを止めることは誰にもできない。人が人に個性とか個人とかを見るというのは、公共の場での振る舞い方を踏襲した、連続性がある理解できる、あくまで受け手が把握できるレベルに「私」が襟を正した姿のことです。
炎上もせず人気でいる人というのは、つまりその、見えない(見えにくい)ルールの上での言動表現を行っていて「個性的」だから人気なわけで、そこからもれたものは叩かれ殴られ吊るし上げられてやむなし、なわけです。そうして、「個性」ある「個人」が無軌道で思慮の足らない愚か者を尻目に成り上がり秩序ある世界の上に美しい世界ができあがり誰もが笑顔になりました。幸福がせかいにあらわれました。めでたし、めでたし。
ところで、これは嘘です。
正確には目標とするべき美しい物語で理想です。
そのルールは、本当に公共の、パブリックな、真善美に用いられるルールなのか。むしろ、誰しもの心の中の暗い欲望を正当化するために作られた巨大で真っ暗な、「私」をたっぷり集めただけのハリボテの狂気なのではないか。そういったものを、パンクとかロックとか呼ばれた音楽は撃つべきだったのだと思うのです。それは、少なくとも美しい理想としては。
大槻ケンヂの小説に「キャプテン・マンテル・ノーリターン」というバンドが出てきます。何をするにも上手くいかない高校生たちが、己の闇の中に潜むキラキラとした宝石のような何かをぶちまける、そのためにちょーかっちょいいノイズバンドを組もう、と。彼らはバンドを結成したのです。
「もれる」を初めて知った時、一番最初に思い浮かんだのがこの架空のバンドでした。なんのためにパンクバンドなんてものが、ハードコアなんて無茶なジャンルが、ノイズなんていう悲しさしかない音楽があるのか。それは、不満を溜め込んだ人間たちが、身を守ったり、何かを手に入れるためだったり、自分たちが納得のゆくルールへ逃げながら少しずつ近づいたり……そんなことのためではないでしょうか。つまり、生きていくために必要な武器として。
武器は使い方を誤れば周りだけでなく自分も傷つけるもの。危なっかしくも見えたりするけれど、その姿も美しかったり「することがある」から始末に終えない。美しいのか正しいのか面白いのかカッコいいのか好きか、醜いのか間違っているのかつまらないのかカッコ悪いのか嫌いか、それらは全部違います。でも、少なくとも私は、「もれる」のことが好きなのです。
彼らは、もしかしたら、これからどんどん正しくなっていったりしてしまうかもしれません。それは誰にもわからないけれど、でもそうなった時に失われるものも絶対あるから、だから、きっとみんな今彼らを観た方がいいと思うのです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
【DEMO】収束します
インターネットで、絶対に炎上しない方法がいくつかあります。
・時事ネタには触れない
・自分の意見は言わない
・写真や映像を投稿しない
つまり、何もしないということです。
ところで、食事中に己の汚物も流していないトイレの扉を開いて「これが俺の真実だ」なんて、そんなナイーブな絶叫は大人になるとなかなかできないものです。恥をかくだけなら良い方で、悪ければボコボコに殴られ、村八分にされ警察を呼ばれて、となる。
しかし、インターネットはわずかな通信料さえ払えばそれができます。非常に私的な、なんのてらいもない「私」をむき出しにすることを止めることは誰にもできない。人が人に個性とか個人とかを見るというのは、公共の場での振る舞い方を踏襲した、連続性がある理解できる、あくまで受け手が把握できるレベルに「私」が襟を正した姿のことです。
炎上もせず人気でいる人というのは、つまりその、見えない(見えにくい)ルールの上での言動表現を行っていて「個性的」だから人気なわけで、そこからもれたものは叩かれ殴られ吊るし上げられてやむなし、なわけです。そうして、「個性」ある「個人」が無軌道で思慮の足らない愚か者を尻目に成り上がり秩序ある世界の上に美しい世界ができあがり誰もが笑顔になりました。幸福がせかいにあらわれました。めでたし、めでたし。
ところで、これは嘘です。
正確には目標とするべき美しい物語で理想です。
そのルールは、本当に公共の、パブリックな、真善美に用いられるルールなのか。むしろ、誰しもの心の中の暗い欲望を正当化するために作られた巨大で真っ暗な、「私」をたっぷり集めただけのハリボテの狂気なのではないか。そういったものを、パンクとかロックとか呼ばれた音楽は撃つべきだったのだと思うのです。それは、少なくとも美しい理想としては。
大槻ケンヂの小説に「キャプテン・マンテル・ノーリターン」というバンドが出てきます。何をするにも上手くいかない高校生たちが、己の闇の中に潜むキラキラとした宝石のような何かをぶちまける、そのためにちょーかっちょいいノイズバンドを組もう、と。彼らはバンドを結成したのです。
「もれる」を初めて知った時、一番最初に思い浮かんだのがこの架空のバンドでした。なんのためにパンクバンドなんてものが、ハードコアなんて無茶なジャンルが、ノイズなんていう悲しさしかない音楽があるのか。それは、不満を溜め込んだ人間たちが、身を守ったり、何かを手に入れるためだったり、自分たちが納得のゆくルールへ逃げながら少しずつ近づいたり……そんなことのためではないでしょうか。つまり、生きていくために必要な武器として。
武器は使い方を誤れば周りだけでなく自分も傷つけるもの。危なっかしくも見えたりするけれど、その姿も美しかったり「することがある」から始末に終えない。美しいのか正しいのか面白いのかカッコいいのか好きか、醜いのか間違っているのかつまらないのかカッコ悪いのか嫌いか、それらは全部違います。でも、少なくとも私は、「もれる」のことが好きなのです。
彼らは、もしかしたら、これからどんどん正しくなっていったりしてしまうかもしれません。それは誰にもわからないけれど、でもそうなった時に失われるものも絶対あるから、だから、きっとみんな今彼らを観た方がいいと思うのです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
【DEMO】収束します
ウタ、ライブ3出演者紹介その2 電波パパ
てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。
電波パパの歌を聴くと、言葉のチカラとは何か、歌詞とは何か、などを考えてしまうのです。
以前に対バンさせて頂いた時にCDを買ってから、一時期そればっかり聴いていたくらいにファンなのです。だから、歌詞もよく読みました。こんなに軽妙で淡々として肩肘張らないボーカルスタイルなのに、意外と選ばれる言葉は強くメッセージ性があるのです。
例えば、YouTubeに上がってるどきどきアイドル天国(仮)という曲。「ちょうどよいおもちゃ」「救世主の気持ちにもなってみろ」など、かなり本質的で皮肉っぽい言葉遣い。なのに、これがメロディのある歌として電波パパから発せられるとむしろどんどんアイドル的になる。何度でも聴いて、擦り切れるまで消費したくなる。ポップなのです。歌というのは、通常使用される言葉遣いと違う音律で裏切るところに快感があると思うのですが、ある種のアイドル批判それ自体が自身をアイドル化していく。それがこの曲の、ひいては電波パパの「歌」のすごいところです。
むしろ軽々しい言葉遣いをすればするほど、意味から逃げるという意味が生じて窮屈になってゆくことも往々にしてある中、これだけ強い意味を持った言葉づかいを無意味化する。アイドル化してゆく。ただただ、音楽として心地がよいのです。
ところで私は「歌」が嫌いでした。
なぜって、ありのままの自分がメロディによって浄化され、肯定されてしまうのが弱々しく見えたから。その音の力の強さに加えて、歌詞というものの持つ暴力性。普段遣いとは違うメロディによる言葉の異化効果が、まるでその言葉の持つ意味自体で自分を癒やしてくれるような……酒を飲んで気を大きくさせるのにも似た不思議なチカラ。
ハードコア・パンクみたいな荒々しい歌い方の音楽は、メロディを破壊している!すごい!なんて無知そのもので思ったものでした(実際は、良いハードコアほどメロディがしっかりしています)。
さて、そんな歪んだ認識のまま色んな音楽に触れていったら、本当にメロディのない、もしくは薄いパンクというものもあったのです。
ニューウェーブとかポスト・パンクと言われるものの中にそれはあって、ラップでもなければ単純なポエトリー・リーディングでもない、メロディを歌、リーディングを詩とするならばそれら2つのウタが合わさったような、メロディと語りの区分がされておらず、語りがメロの補足や解説ではなく地続きな、何度も越境しては反復するような、奇妙なボーカルスタイルが。
そこから私は、ずうっとポエトリー・リーディングや、メロとの組み合わせ方みたいなものにばかり拘ってきました。
電波パパの歌は、とってもポップでキッチュで、派手さはないのに心に残る、非常にチカラのある麻薬的なウタです。過去の私には、正統派の敵のはずでした。
けれど、そういう頭で考えたような敵意は、素直に音楽に向き合いだしてから、だんだん、だんだん、消えていったのです。やっぱり、いいものはいいものだから。 本当は歌が好きで、歌に慰められていた自分のその、弱々しい部分こそが嫌だったのだから。
適度なお酒と同じように、美しいメロディの通ったあとに咲いているいくつかの強い言葉は、人の心を饒舌にさせます。沢山の何かが浮かんでは消えて消えては浮かんでくる。それがウタのチカラで、だから私はウタが好きだと今は素直に言えて、そして電波パパが好きなのです。ファンなのです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
電波パパの歌を聴くと、言葉のチカラとは何か、歌詞とは何か、などを考えてしまうのです。
以前に対バンさせて頂いた時にCDを買ってから、一時期そればっかり聴いていたくらいにファンなのです。だから、歌詞もよく読みました。こんなに軽妙で淡々として肩肘張らないボーカルスタイルなのに、意外と選ばれる言葉は強くメッセージ性があるのです。
例えば、YouTubeに上がってるどきどきアイドル天国(仮)という曲。「ちょうどよいおもちゃ」「救世主の気持ちにもなってみろ」など、かなり本質的で皮肉っぽい言葉遣い。なのに、これがメロディのある歌として電波パパから発せられるとむしろどんどんアイドル的になる。何度でも聴いて、擦り切れるまで消費したくなる。ポップなのです。歌というのは、通常使用される言葉遣いと違う音律で裏切るところに快感があると思うのですが、ある種のアイドル批判それ自体が自身をアイドル化していく。それがこの曲の、ひいては電波パパの「歌」のすごいところです。
むしろ軽々しい言葉遣いをすればするほど、意味から逃げるという意味が生じて窮屈になってゆくことも往々にしてある中、これだけ強い意味を持った言葉づかいを無意味化する。アイドル化してゆく。ただただ、音楽として心地がよいのです。
ところで私は「歌」が嫌いでした。
なぜって、ありのままの自分がメロディによって浄化され、肯定されてしまうのが弱々しく見えたから。その音の力の強さに加えて、歌詞というものの持つ暴力性。普段遣いとは違うメロディによる言葉の異化効果が、まるでその言葉の持つ意味自体で自分を癒やしてくれるような……酒を飲んで気を大きくさせるのにも似た不思議なチカラ。
ハードコア・パンクみたいな荒々しい歌い方の音楽は、メロディを破壊している!すごい!なんて無知そのもので思ったものでした(実際は、良いハードコアほどメロディがしっかりしています)。
さて、そんな歪んだ認識のまま色んな音楽に触れていったら、本当にメロディのない、もしくは薄いパンクというものもあったのです。
ニューウェーブとかポスト・パンクと言われるものの中にそれはあって、ラップでもなければ単純なポエトリー・リーディングでもない、メロディを歌、リーディングを詩とするならばそれら2つのウタが合わさったような、メロディと語りの区分がされておらず、語りがメロの補足や解説ではなく地続きな、何度も越境しては反復するような、奇妙なボーカルスタイルが。
そこから私は、ずうっとポエトリー・リーディングや、メロとの組み合わせ方みたいなものにばかり拘ってきました。
電波パパの歌は、とってもポップでキッチュで、派手さはないのに心に残る、非常にチカラのある麻薬的なウタです。過去の私には、正統派の敵のはずでした。
けれど、そういう頭で考えたような敵意は、素直に音楽に向き合いだしてから、だんだん、だんだん、消えていったのです。やっぱり、いいものはいいものだから。 本当は歌が好きで、歌に慰められていた自分のその、弱々しい部分こそが嫌だったのだから。
適度なお酒と同じように、美しいメロディの通ったあとに咲いているいくつかの強い言葉は、人の心を饒舌にさせます。沢山の何かが浮かんでは消えて消えては浮かんでくる。それがウタのチカラで、だから私はウタが好きだと今は素直に言えて、そして電波パパが好きなのです。ファンなのです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
ウタ、ライブ3出演者紹介その1 小川直人 (モジュラーシンセ)× 佐野麻呂梨王(サックス)
てろてろのメンバーが、企画の出演者をご紹介いたします。
モジュラーシンセとサックスというと、一見何も共通点が無さそうにも見えますが、両者の楽器から発せられる音は共にプリミティブで似通って聞こえるのが不思議なduoです。
(Ba ミサキ)
小川直人さんの印象は、最初は「全然わからなくて奇妙な人」だったのですが、見方がわかるとこんなポップな人はいないなっていう。最高のノイジシャン(どこかで聞いた気がするけれど、本当にこんな言葉あるのだろうか。ノイズを演奏する人)の一人だと思ってます。昔よく小川さんが顔の話をしてて、それが私はすごく好きだったんですが、やっぱりいい音楽をやってる人はいい顔なんですね。小川さんは、間違いなくいい顔でいい音を出すんです。
私の中の良い即興演奏の評価基準の一つに「途中で飽きない」「ダレない」というのがあるんですが、佐野さんの音は一粒たりとも逃したくなくなる。小仏のリーダーとしてかっちり吹いてバンドをまとめている時も良いのですが、30分延々サックスソロを吹いていても「もっと聴きたい」としか思えなくて参りますね。それで、やっぱり顔がいいです。
この二人が組んで演奏するんだから、ライオン同士のじゃれ合いみたいに派手な見世物になるのは、それが悪いわけないのは、まぁ間違いないんです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
モジュラーシンセとサックスというと、一見何も共通点が無さそうにも見えますが、両者の楽器から発せられる音は共にプリミティブで似通って聞こえるのが不思議なduoです。
(Ba ミサキ)
小川直人さんの印象は、最初は「全然わからなくて奇妙な人」だったのですが、見方がわかるとこんなポップな人はいないなっていう。最高のノイジシャン(どこかで聞いた気がするけれど、本当にこんな言葉あるのだろうか。ノイズを演奏する人)の一人だと思ってます。昔よく小川さんが顔の話をしてて、それが私はすごく好きだったんですが、やっぱりいい音楽をやってる人はいい顔なんですね。小川さんは、間違いなくいい顔でいい音を出すんです。
私の中の良い即興演奏の評価基準の一つに「途中で飽きない」「ダレない」というのがあるんですが、佐野さんの音は一粒たりとも逃したくなくなる。小仏のリーダーとしてかっちり吹いてバンドをまとめている時も良いのですが、30分延々サックスソロを吹いていても「もっと聴きたい」としか思えなくて参りますね。それで、やっぱり顔がいいです。
この二人が組んで演奏するんだから、ライオン同士のじゃれ合いみたいに派手な見世物になるのは、それが悪いわけないのは、まぁ間違いないんです。
(Sax,Vo 及川耕碩)
2019年4月3日水曜日
ウタ、ライブ3
ウタ、ライブ3を行います。
2019.4.6(土)
第3回てろてろ自主企画
「ウタ、ライブ3」
新大久保earthdom
1730open 1800start
2000/2500(+1drink)
出演:
てろてろ
小川直人 × 佐野麻呂梨王
もれる
電波パパ
De Lorians
サラリーマン川柳
※学生証提示で500円引きの学割あり
4/6、新大久保EARTHDOMに集エ。
2019.4.6(土)
第3回てろてろ自主企画
「ウタ、ライブ3」
新大久保earthdom
1730open 1800start
2000/2500(+1drink)
出演:
てろてろ
小川直人 × 佐野麻呂梨王
もれる
電波パパ
De Lorians
サラリーマン川柳
※学生証提示で500円引きの学割あり
4/6、新大久保EARTHDOMに集エ。
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