2019年10月14日月曜日

10.26 扁桃核の夜 出演者紹介「木幡東介(マリア観音)」


1980年代末期、昭和から平成への御代替わり直前に結成されたハードコアプログレッシブ歌謡ロックバンド・マリア観音。激しいステージアクション、三上寛や早川義夫を彷彿させる情感溢れる詩世界、それらと異化効果を生じさせる美しくプログレッシブに構築された楽曲、を武器に精力的な活動をしていたが、2000年頃に活動休止。同時期、ヴォーカル・木幡東介さんはドラムソロパフォーマンスのキャリアをスタートさせる。
そのパフォーマンスの一端は、再結成を果たした現在のマリア観音でも垣間見ることができます。

マリア観音 @四谷アウトブレイク 2019.07.17より、木幡東介ドラム・ソロ(52:22から)

https://www.youtube.com/watch?v=45KovOeVjvY&feature=youtu.be&t=52m22s


似ているな、と思ったのは若い頃に聴いた富樫雅彦のドラミング。即興演奏、ある時代にフリージャズと呼ばれていたそれは初めて聞く種類のドラムで、今以上に遥かに未熟だった当時の自分にはただ無茶苦茶に盲滅法叩いているだけのようにしか聞こえず、長く、理解が耳に追いつくことはありませんでした。
しかし友達から「これがいいあれがいい」とオススメされたフリージャズを聴いたりしていくうち、わからないものはわからないなりに、段々と自分の中で受け止め方が定まっていきました。すなわち、これは、まとまりのない音の粒が少しずつ収束して「できあがっていく」魅力なのではないか?正確にカチカチとリズムを刻む事で、あらかじめ成立している楽曲の魅力を縁の下で最大限に下支えし、引き出す。それとはまた一味違った、個人が持つリズム、鼓動、衝動をストレートに伝えることのできる、ドラムの持つ独立した魅力。
例えば通常のドラム演奏が、一定の私性を消しながら次々と迫り来るハードルを超え成果を出してゆく「仕事」「社会の中の個」の強さに似た魅力とするならば、フリージャズドラムは、わけのわからない全くの個人がじっくりと深い付き合いの中で互いのルールを確認する、徐々にその姿がわかり友情を深めてゆくプライベートで捉えどころがない「社交」の魅力に似ていると言いましょうか……。「決まった仕事」がない分、たどり着くまでになかなか根気のいる魅力であると言えます。

マリア観音のライブ会場で配られるビラや、公式サイトで読める文章「アンダーグラウンド音楽教室」では、木幡さんによるリズムの解釈と、その独自な練習方法が掲載されています。




[口頭メトロノームによるレコーディング]

①先ず、ヴォイスパーカッション宜しく好き勝手に口頭でリズムを数分間レコーディングする。
この時決して数字で認識しない。
この段階で自分に刷り込まれているリズムの種類がわかってしまう。

②これに合わせ他のパートをオーバーダビングする。
寸分違わず合うまでやる。
自分の特徴(段々と早くなる、段々と遅くなる、前のり、後のり、特定の位置にアクセントが来る 等)を自分の肉体に刷り込んでゆく。



……本当に、ゆっくりとした、根気のいるトレーニング(これを木幡さんは「本能の制度化」と呼ぶ)。その果てが、掲載した動画でも見られるような圧倒的なドラミングです。
木幡さんは言います。



「巷の音楽教育ではタブーである、リズムが不安定、弱い、走る、もたる 等は、この制度化によって全て個性になり武器になる」
「自分の真のルーツを己の肉体の内に探求する」



既存の制度からはずれた「本能の制度化」による鍛錬、とてつもない孤独の果てにある営みを、今回はソロによる長尺でお見せしていただけます。

最後に、今回の企画や、参加するバンドのことを表現しているかのような「アンダーグラウンド音楽教室」の一節を引いてこの記事を終えます。

「(引用者注:メトロノームを使用しないリズムの刷り込みには)10倍の時間がかかる。しかし、本来、一致、融合とはそうしたものである。夫婦、親子、チーム、共同作業、動物飼育等、また然り…。メトロノーム(社会通念)によって短時間に一致させた関係は、交換が効くが間もなく内的な質に於いて破綻する。直ぐに上限が来るからである。(1つの解答を覚えたら終わり…。)真の融合は、野生同志の間でしか成立し得ない。」

真の融合が成される一夜か否か。その目で目撃して欲しいと思います。
(撮影:池田敬太)


(及川耕碩・てろてろ)

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