2019年10月7日月曜日

10.26 扁桃核の夜 出演者紹介「痛郎」


ものすごい変拍子で人を驚かすようなリフなのにリフAとリフBの繋がりに唐突さはなく、それはあくまでその叙情的な歌や詩を聴かせるための楽曲で、にも関わらず安定したバッキングギターとバキバキにリードするベース、テクニカルなのに不必要な場所では音数を抑え空間を演出するかのようにサウンドを下支えするドラムは完全なバンドサウンドそのもので、そんなとんでもないバンドを見たのは当時絶版だったナゴムのビデオでした。
奇妙なのに切なく人の心を突き刺す曲を演奏するそのバンドは「痛郎」という、見ようによっては少しユーモアのある(町田町蔵、現・町田康から「打ち上げに、朝まで『いたろう」?」という理由で名付けられたと知り、得心した)奇妙な、けれどほんのりと血が滲むような名前だった。

この項を書くため久しぶりに、2000年(平成12年)に太田出版から出た、平田順子さん著「ナゴムの話」を書棚から引っ張り出しました。
ナゴムというのはインディーズレーベル「ナゴムレコード」のことで、インディーズブーム華やかなりし昭和末期の1980年代半ば、旺盛な活動をしていました(19891990頃に閉社。以降、断続的に復活)。

「ナゴムの話」は、当時ナゴムに関わっていた人たちへのインタビュー集です。その中には、痛郎のベース・ボーカル井手さんの発言もあります。

「もしかしたら、僕たちの時代で、インディーズのバンドがメジャーデビューするというのもあるんだっていうのを、作っちゃったのかもしれない。その前はもっと瞬間的というか。活動の場がライブだけに限られてたから」

当時は音源を作って発表すること、それ自体が驚異だったとも井手さんは述べています。
1期痛郎が休止して30年、この本が出てからも20年近く経ち、インターネットも発達して、誰でも発表でき表現が溢れ、それどころか形にして残すことも当時よりは容易になりました。それなのに、むしろ瞬間的で消えていく失われていくものは、見えやすいからこそ、増えている気がします。

「遠く聞こえる、アナタの声を、何度も思い出してる」(BLUE THINKING

痛郎の歌が叙情的なのは、「失われるもの」を思い出させる歌を歌うバンドだからだと思うのです。

時代は変わるし、まさかまた痛郎が復活するとは思わなかったし、当然ただの1ファンに過ぎなかった自分が対バンすることなど夢にも思わなかった。嫌なこともいいことも、人生には何が起こるのかはわからない。
しぶとく、諦めずに生きていればこんな夜があるんだなと、1026日がそんな風に良い意味で「何が起こるかわからない」と思ってもらえる日になればいいと思う。
痛郎を見て、そう思ってもらいたいと思う。

(及川耕碩・てろてろ

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